デザイアカードを振り返る

はじめに

 26話でなんとなくデザイアカードの書き方がわかった気がしたので書きました。これまで開示された願いは言い回しとかでなんとなく分類できそうな気がします

 

①   「状態」への願い

「俺が世界スターになっている世界」

「平和な世界」

「人類が滅亡した世界」

「デザイアグランプリの運営と家族になっている世界」

「俺が死ぬまでデザイアグランプリに参加できる世界」

「俺が働かなくても暮らせる世界」

「俺がデザイアグランプリのスタッフになっている世界」

「俺がDGPのゲームマスターになっている世界」

 

 抽象的だが実は一番わかりやすいと思う。簡単に言えば、これらは世界の「事実・状態」を指定している。なぜスターなのか、平和とは何か、どうやって人類が滅亡するのかは指定されていない。結果としての事実、世界の状態だけが記されている。品詞に着目しても、ほとんどが状態を示す動詞で終わっていることがわかる。

 実現のされ方については、邂逅編・謀略編でのツムリの描写がわかりやすい。「世界スターになっている世界」で英寿への対応が変わらなかったツムリも、家族であること自体を(嫌悪こそしても)拒絶することはできないようだった。「世界スター」はあくまで英寿の地位を変化させるものであり誰がファンとなるかは指定しないが、「家族」は英寿とツムリの関係が明確に指定されている。認知ではなく、事実あるいは状態を実現したと考えるのが自然だろう。

 ギンペンのデザイアカードは登場しないので、孝人のセリフを参照する。

「実は息子が治らない病で苦しんでいてね。これに参加すれば、息子が健康になっている世界に変えられるんじゃないかって」

2話『邂逅I:宝探しと盗賊』

 

 「病気が治る世界」や「治療を受けられる世界」ではなく「健康になっている世界」。「難病である」「手術費用が賄えない」という二つの問題のうち、前者をクリアしようとしたように見える。であれば上に挙げた例と同様、「世界」そのものに状態的変化を及ぼすものと言える。

②   「事象」への願い

「10キロ痩せて、推しと結婚したい」

「若返りたい」

「退場したすべての人たちが蘇った世界」

 

 これも過程ではなく結果を指定しているが、動作動詞を伴っているのが違う。①が「事実・状態」を実現する願いであるとすれば、②は「事象」、つまり一回限りの変化を実現するといえる。これらはひとつも実現されていないので、具体的な描写から読み取れることは少ない。

 補足:「滅亡する」は動作動詞だが「した」なので結果の存続を含む。「なる」は動作動詞だが「なっている」は動作・作用の存続を意味する。これらは①・②の複合となる。

 

③   「手段」への願い

「年齢で衰えない身体能力」

 ここまでの①と②が用言を指定する願いとすれば、これらは体言を指定している。「記憶」「身体能力」と、名詞だけでも成立する。ただ、③は簡潔なぶんカードに書かれていない部分についても考える必要がある。

 冴/ロポは家族を養うためにDGPに参加したが、願ったのは陸上選手として稼ぐことを可能にする手段が書かれている。「愛があれば」と諦めるのも、カードに書いた願いが手段に過ぎなかったからだ。

「全人類の記憶が欲しい」

大智/ナッジスパロウに関しては正直わからないことが多いが、ここまでの言動を信じるなら、全てを知る手段として記憶を欲していて、退場者のIDコアからデータを得た変種ジャマトに関心を示しているのもそのことと関連していると取れる。

大智「知識こそが最高の財産だからね」

(17話『乖離I:ようこそ!新しいシーズンへ!』)

 

デザ神以外の手段で目的を果たそうとしているのもそのままセリフに出ている。

大智「退場したら僕のコピーが量産されてたかと思うと、ゾッとするね」

道長「ならなんでこっち側についている」

大智「君と同じさ。理想の世界が叶えられるなら、手段はなんだっていい」

(21話『乖離V:ゲイザーの鉄槌!』)

 

 デザイアカードに限らず、冴と大智が登場する乖離編では、目的や手段、結果や過程といった語が用いられている。無関係ではないように思う。

ツムリ「シークレットミッションを見抜いて勝利に貢献したナッジスパロウ。そして、一番早く校長にたどり着いたロポにオーディエンスの支持が集まっているようです」

冴「結果だけじゃなく過程も大切ってことね」

17 話

 

④   「力」への願い

「生まれ変わった俺がいつか世界を守る覚悟を決めた時、それを実現する力」

 基本的には③と同じ手段を指定する願いだが、目的と手段がより強固に結びついている。「それを実現する」とまで明記するあたりに入念さが伺える。構文としては①②に見られる「結果+世界」に近い。

 ただ、「力」は個人が行使するものであり、「世界」というハコに依存していない。創成の女神による世界の再創造が不可能となった慟哭編では、その違いが大きな意味を持っている。変わらない世界を個人の意思と行動で変える(守る)という意識があるように感じられる。

「世界は救う。理想の世界を叶えるついでにな」

「全ての仮面ライダーをぶっ潰す力」

 ブーストマークIIより先に開示されていた「力」を望むこのカードも、同様の意味を持っていたのかもしれない。「世界」という枠組みではなく自分自身の行動で願いを果たす、的な。世界をリセットする=悲劇を忘れさせることへの怒りも一因かもしれない。

⑤   「本当の愛が欲しい」

お手上げです。愛という言葉の捉え方が難しすぎる。

 

おわりに

 必要があれば追記修正します。賞味期限切れてなければ。

2022年の抱負?

2021年の総括をやるぞ〜と意気込んで小一時間いろいろ書いたり消したりしてたんですけどもういいです。あけましておめでとうございます。

 

去年は漫画に寄りすぎてたかなと思うので今年はもうちょっとアニメとか映画を見たいかもと思います。アニメを見てて普通に面白くて楽しくても気づいたら脱落してたりするので……。

あとたまに絵を描いてるんですけど、人にお出しできるもの(これはクオリティでなく、完成するということ)を描きたいと思います。頑張りはしません。

 

ブログにするような長さになると思ってたんですけど、なりませんでした。今年もよろしくお願いします。